※写真は本文と関係ありません。ちなみに私でもありません笑
突然ですが「いい姿勢」と聞くと、子どもの頃「姿勢を正しなさい!」って言われて、反射的に上半身だけピンとさせて澄まし顔をしたのを思い出します。これは精神的にたるんだ状態が姿勢に現れたとみなされての「喝」なのだと、子どもながらに理解していたのは私だけではないはず。
姿勢とは「①身体的要因」と「②精神的要因」「③その人自身の身体イメージや枠組み、知覚的要因」等が絡み合って「姿の勢い」として現れたもの(現時点での個人の見解です)。
そんなことを端的に表そうとして「身体と心は繋がっている」とか言うと、途端に怪訝な顔(もしくは困惑)されたりするから面白いな〜と思うし、言葉の難しさを感じたり。そんな私も以前はピンときていなかった一人です^^
①身体的要因
たとえばお腹が痛い時は前かがみになるとか、痛いところがある時はそこに負荷がかからないようにするとか。
②精神的要因
ひどく落ち込んだ時には胎児のように丸まって寝るとか、目線が下がるとか、誇らしい気持ちの時や広大な自然の中で心地よさを味わおうとする時は、自然と胸が開くとか。
③その人自身の身体イメージや枠組み、知覚的要因
いつのまにか定着した無自覚の「こういうもの」「こうとしか動かない」というようなイメージだったり、知覚の使い方に制限・偏りがあったりパターン化していたりすること。
①②は当たり前のことすぎて、むしろ当たり前に無意識でしているからこそ、日常のなかで意識を向けるという発想自体なかなか持ちづらいと思います。そんなことやって何になるかわからないものは、誰だって手を出しにくい。(補足:「今の状態をただ感じ、観察する」という意味では禅や瞑想に近いです。)でもだんだん身体が若い頃のようにはいかなくなったり、病気したりすると、今までの当たり前がありがたく思えたり。
ところで、「いい姿勢」ってどういうことだと思いますか? 見た目の美しさ? 背筋が伸びていること? 顎が上がっていること?
私は「その人が一番自然でラクに重力に身をまかせて立っていられる状態」と捉えています。「いい姿勢って言ったじゃん!」と思われそうですが、聞いておいて申し訳ないですが、そもそも人の姿勢をいい/悪い含めてジャッジしません。そしてイメージや頭のなかにある「いい姿勢」に囚われて身体を固めないことがミソです。
韓氏意拳の教え手であり、数々のアスリートをサポートしてきたバランストレーナーの小関勲先生も「正しさに囚われた瞬間バランスは崩れる」というようなことを仰っています。
流動性のある身体(成人の約60%は水分でできているしね。よく水の入った袋に例えられる)が、見た目がどうであろうとなんらかの制約のなか、その瞬間その瞬間の最善を尽くしてくれている
こういったことは「身体の知性」と呼ばれ、身体の完全性を信頼する前提は、さまざまな手技療法や武術などで見られます。
ただその上で、構造上ムリなく支えられるようになったり、過緊張・過弛緩のある状態から全体のトーンが均質でほどよい張力のある状態へと近づけたほうがより統合され、体感としてラクになるのは言うまでもありません。
よりよいバランスに向かうポテンシャルは身体本来が持っていて、身体はいつだってそのきっかけを待っていると、私自身学びを続けるなかで実感しています。必要な方へはイールドやCS60がサポートになれるかもしれません。
いつだって身体は、いつか死ぬその瞬間まで生きるほうを向いています。
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